「李東輝」とは別人です。
李 登輝
中華民国
第4代 総統
任期1988年1月13日 – 2000年5月20日
副総統不在(7期)
李元簇(8期)
連戦(9期)
行政院長兪国華
李煥
?柏村
連戦
蕭万長
中国国民党
第2代 主席
任期1988年7月8日 – 2000年3月24日
中華民国
第5代 副総統
任期1984年5月20日 – 1988年1月13日
総統?経国
台湾省政府
第11代 主席
任期1981年12月5日 – 1984年5月20日
台北市
第4代 市長
任期1978年6月9日 – 1981年12月5日
中華民国
行政院政務委員
任期1972年6月1日 – 1978年6月1日
総統?介石
厳家淦
内閣?経国内閣
出生 (1923-01-15) 1923年1月15日
日本 台湾台北州淡水郡三芝荘
李 登輝
岩里 政男
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴1944年 - 1945年
最終階級 少尉
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李 登輝
職業:学者、政治家
各種表記
繁体字:李 登輝
簡体字:李 登?
?音:L? D?nghu?
ラテン字:Lee Teng-hui
台湾語:Li Ting-hui
和名表記:岩里 政男
発音転記:リー・トンホイ
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李 登輝(り とうき、1923年〈大正12年〉1月15日 - 2020年〈民国109年〉7月30日、注音: ??? ?? ???/.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: L? D?ng hu?)[1] は、中華民国(台湾)の政治家、農業経済学者、宣教師。第4代中華民国総統(7期途中昇格・8期・9期、1988年 - 2000年)。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教は台湾基督長老教会。日本統治時代に使用していた名は岩里 政男(いわさと まさお)。本省人初の中華民国総統で、「台湾民主化の父」と評価される[2][3]。日本においては、「22歳まで日本人だった」の言葉や、日本語が話せることなどから親日家としても知られた[4]。 ?経国を副総統として補佐し、その死後は後継者として中華民国の歴史上初めてとなる民選総統であり、なおかつ本省人出身者では初の総統となった。中華民国総統、中国国民党主席に就任し、台湾の本土化を推進した。 中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在すると主張した(二国論)。国共内戦の一方的な終結宣言により[5]、内戦を口実にしてきた動員戡乱時期臨時条款の廃止で中華民国の民主化を実現し、国家統一綱領に基づいて中華人民共和国との統一交渉も開始しつつ、第三次台湾海峡危機では中華人民共和国の軍事的圧力に対して中華民国の独立を守った。 総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初の政党、台湾団結連盟を自ら中心となって結成し、台湾独立運動・泛緑連盟に影響を与え続けていた。 台北州淡水郡三芝庄(現在の新北市三芝区)埔坪村の「源興居」で李金龍と江錦の次男として生まれる[6]。
概要
生い立ち兄・李登欽との写真(1930年頃)中学時代の李登輝兄・李登欽(左)と李登輝(右)